■ワールドユースオランダ大会を終えて――オフィシャルカメラマンの目から
カクテル光線に照らされて勝利の凱歌をあげるアルゼンチン。その横を終始うつむき加減で足早に立ち去るカナリア軍団…。大会前には優勝候補に上げられていたライバルの明暗がくっきりと分かれた瞬間であった。
6月10日から7月2日にわたりオランダで開催されたワールドユース大会は、個人能力を見せつけたアルゼンチンが、2001年以来2大会ぶりにタイトルを奪取した。永遠のライバルであるブラジルは、ケガ人続出でまともなチーム作りもできず3位に甘んじる結果となった。カカー、アドリアーノらを輩出した前々回のアルゼンチン大会(2001)、ドゥドゥ(元柏レイソル)を中心に堂々の優勝を飾った前回のUAE大会(2003)に比べ、確かに小粒な印象が否めなかった。
ユースの台所は火の車
今回U−20代表を取り仕切るブランコの特別な計らいにより、私は日本人にもかかわらずCBF(ブラジルササッカー協会)のオフィシャルカメラマンとして密着取材を許された。幸運にも約1か月もの間ブラジルサッカ―の将来を担うスター候補生らと衣食をともにし、普段ピッチ上では見ることができない彼らの等身大の姿を目にすることができた。この貴重な経験を通してブラジルのユースサッカーが抱えるさまざまな問題点が浮き彫りにされることになった。ちなみにブランコとは94年のW杯アメリカ大会で、伝説的なフリーキックを決めたあの名選手である。
大会中よく耳にしたのが、セレソン(ブラジル代表の愛称)に対する失望感。オランダをはじめとする欧州のみならず、地元ブラジルでも「タレント不在」、「魅力に欠ける攻撃陣」などの不満が噴出した。これに対してセレソンの指揮を執ったレネ・ウェーベル監督は、「クラブ側の協力体制も不十分で、大会前に親善試合すら組めやしない。」と顔を赤らめて反論に終始。私のメル友でもあるウェーベル監督の一番の悩みがメンバー集めだ。サッカ―大国ブラジルに対しては、南米選手権やワールドユースなどの公式大会以外にも、世界各国から親善試合への誘いが数多く舞い込む。昨年8月のSBSカップに今回の代表選手の多くが参加したことは記憶に新しい。監督の理想は常にベストの布陣で試合に臨むことだが、一年中複数の大会を掛け持つブラジルのクラブに万全の協力を求めることは、現時点で不可能に近いことだ。ヨーロッパ市場への過剰な選手流出にともない、U−20世代がチ―ムの主力となりつつあることもセレソンの弱体化に拍車をかけている。
現在(05年7月)ブラジルでは最大規模の国内大会である「全国選手権」が開催されている。その他にもトヨタカップの前哨戦である「リベルタドーレス杯」、カップ戦の「コパ・ド・ブラジル」などの重要大会が目白押しだ。常にハードなスケジュールを強いられるクラブ側にしてみれば20才以下でも貴重な戦力であり、最近では16才、17才といった若手が10番をつけることも珍しくはない。今回のワールドユースに参加した21名もその半数以上は準レギュラークラスであり、「全国選手権」でもスタメン出場を果たしている。ウェーベル監督の腹づもりではキャンプ当初からフルメンバーで戦術練習をするはずだったが、彼の目論見は初日からはやくも崩れ去った。重要な大会前にもかかわらず、9名もの選手が「リベルタドーレス杯」や「コパ・ド・ブラジル」のためにキャンプを中断したのだ。結果的にリオ・デ・ジャネイロの地元クラブとたった一度の親善試合しか組めなかったセレソンと、はやくからオランダ国内や各国で練習試合を消化したライバルたちとは、大会前からすでに差がついていたのかもしれない。
過密な日程の中で限られた人数をやりくりするチーム経営の最大の犠牲者は、いうまでもなく選手自身だ。FIFA主催の世界大会というのに、セレソンの面々はまるで「野戦病院」の患者のようであった。大会中はオフレコであったが、ホテルに特別に設置されたリハビリ室は終日予約で満杯で、治療に耐えるうめき声ともつかない声がよく聞こえていた。最大11名に及んだ負傷者も試合となればケガを押して強行出場。その必死な姿にすこし疑問を感じた私はある選手にその理由を尋ねた。
「だって今日の試合には○○のスカウトが見に来ているんだろ?」
バイシクルキックやまたぎフェイントなど、個人プレーが目立った今回のセレソンの背後には、いつも移籍のうわさがつきまとっていたようだ。私も地元オランダの代理人の姿を何度か目撃した。試合前後に頻繁にかかってくる携帯電話や、インターネットで確認する移籍情報によって、IT情報化時代の申し子が自らの集中力を乱すような場面も見受けられた。
フル代表での再会を約して
日本でもユースの試合が放映されたそうなので、懐かしい顔に接した仙台の方々も多かったのではないだろうか? 85年生まれを中心とするセレソンには、2003年の仙台カップ出場経験者が5名含まれていた。GKのレナン・ブリト(インテルナシオナル)、ヂエゴ(アトレチコ・ミネイロ)。DFのエヂカルロス、フォビオ・サントス、FWのヂエゴ・タルデリのサンパウロトリオだ。レナンは昨年6月の新生U−20結成以来、不動のキャプテンとしてチームに貢献してきた。所属チームでも5月にトップデビューを果たし進境いちじるしい。南米選手権やワールドユースなどの長丁場の大会になると、気分転換に市内観光をすることも多い。試合を離れれば選手たちもただのガキんちょだ。バスの中はまるで修学旅行のようだが、そんな時に冷静な判断を下すのがレナンの仕事。国際試合の経験も豊かで、同年代にもかかわらず兄貴分のような存在だ。ヂエゴは今回第3GKとして参加した。3番目のキーパーといえば、よほどのアクシデントがない限り試合の出番はないに等しい。仙台カップの頃から常に我慢を強いられてきたが、その努力が実り彼も今年トップチームの仲間入りをした。大会中も屈託のない笑顔で周囲の笑いを誘い、練習ではいつも120%以上で臨む姿にヂエゴの精神力の強さを感じた。
エヂカルロス、ファビオ・サントス、ヂエゴ・タルデリはどこに行くときもいつも一緒で仲のよさを見せつけている。ベテランがひしめくサンパウロでは残念ながら控えに甘んじることが多い。それゆえにワールドユースに対する思い入れも強かったが、悪いことに今回は空回りに終わってしまったようだ。それを象徴するのが準々決勝のドイツ戦で起こったタルデリの退場劇だ。ここ数年の悪童ぶり(門限破り、サボーターとのトラブルetc)もすっかり鳴りを潜めたと思った矢先の出来事に、ウェ―ベル監督も頭を抱えていた。ただ本人は平然としてあまり責任を感じている様子も見られなかったが。「あぁ、またやっちゃったよ。」とファビオが語っていたのが印象的だ。
3位決定戦となったモロッコとの試合で揃って得点を決めたファビオとエヂカルロス。特にファビオは自殺点まがいのゴールをアルゼンチン戦で決められひどく落ちこんでいたが、オランダを出発する頃にはすでに次週の「リベルタドーレス杯」モードへと気持ちは切り替わっていた。7月13日の決勝第2戦では、ファビオとタルデリが途中出場を果たし、終了間際にタルデリが駄目押し点を決めアトレチコ・パラエンセに4−0の快勝!日本行きの切符を手にしている。
「これが終わりじゃないんだ。またいつか会えるはず。それが北京かどうかはわからないけど。」この言葉はアルゼンチンに無念の敗北を喫し憔悴しきったレナンが、涙でぬれた顔を拭おうともせずに吐露したひと言だ。彼の願いは、大会中の活躍を欧州のクラブに認めてもらい念願の移籍を実現させることであった。その心中は察するに余りあるが、不動の正GKとして北京五輪そしてW杯での飛躍が期待されている。そのスタートとして帰国早々に「全国選手権」でベンチ入りメンバーに名を連ねている。
レナンの言葉を待つまでもなく、2010年のW杯南アフリカ大会まであと5年。今後はさまざまな大会でワールドユース組の抜擢が増えるだろう。すでに有力選手にはヨーロッパから多くのオファーが届いている。カナリア以外のユニホームに袖を通した姿が日本のファンの目にに止まる日も間近だろう。
仙台カップは「はじめの一歩」
あなたは「仙台カップ」についてどう思う?-セレソンの使命ともいえるタイトル獲得に失敗しその去就が注目されるウェーベル監督。もし2連覇を果たせば無条件で「仙台カップ」の指揮を執ると見られていた。(昨年、一昨年のネルソン・ロドリゲスは9月にU−17世界選手権に出場予定。)現在サンパウロの郊外で家族水いらずで休暇中のウェーベルに、「仙台カップ」の意義について聞いてみた。彼曰く、「今回のセレソンは昨年のツーロンからわずか1年で作り上げたチームだ。次の大会(2007年にカナダで開催)まではまだ2年もある。「仙台カップ」を皮切りにスタートすれば、ブラジル中の逸材を見ることができるだろう。だからこの次は優勝を狙えるチームが作れるはずだ。」自らの運命も定かでないのに快く回答してくれた監督に感謝したい。なおこの言葉を裏付けるかのように、来月1日から5日まで北アイルランドで開催される「ミルクカップ」に参加するU−18代表が発表され、名実ともに次のワールドユースへの挑戦が始まった。「仙台カップ」の準備も兼ねるこの大会には、昨年の参加選手が18名中11名も選ばれている。まさに「はじめの一歩」は仙台からなのだ。 |